元々スポーツ観戦というものは大人になるにつれ興味を無くしていたので、東京オリンピックの様々な醜聞も気にならなかったのですが、ちょっとだけ心にひっかかったことがあります。それは、国や自治体が莫大な税金を使うことに対して、拒否の札を挙げられないことです。
スポンサーや放送権料で儲けるスポーツイベントはあっても構わないし、それを拝金主義だ純粋なスポーツ精神じゃないのだと言う人は、見ない自由もあります。
しかしオリンピックや国体など一部のスポーツイベントでは当然のように税金が使われます。これを正当化する、「経済効果」とか「建築施設の有用性」といった回答は全くの誤魔化しだということは過去が語っています。
それでは「政治的意図」が隠されているから暗黙の了解なのだと言われれば、そういう時代もあったというだけでしょう。世界が植民地戦争の泥沼に嵌っていたとき、イデオロギーの戦いの中に埋もれていたとき、夢と希望とナショナリズムを与えることは有用だったと思います。
こ
んなことを思ったのは、ふと『夜回り先生』こと水谷修先生が現在何をしているのか気になって(昔お世話になった訳ではありませんが…徘徊少年ではなかった
ので笑)ググったら「夜回り先生、国分太一とテレビ番組で言い争い」との記事が見つかったことがきっかけです。先生が五輪の返上を主張するのに対し、国分
が「イヤダ!」と駄々をこね、司会を苦笑させる流れだったようです。ここは私の勝手な想像ですが、先生はオリンピックを頂点とするピラミッドの底辺に位置
する、学校の部活動の教育的価値は無いと判断しているのではないでしょうか。だから返上しても子供たちに悪い影響はないと。
オリンピックがスポーツの頂点でなくなり(テニスなどでは既にそうですが)、スポーツは楽しみと遊びだと皆が思えば、少なくとも開催国がお金を出す形は採れないでしょう。IOCが頭を下げて開催をお願いする時代です。そう遠くない未来に訪れそうな気がします。
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